作品名「浦賀水道」(1991年、20号)
作品名
「浦賀水道」
(1991年、20号)
フランスのニースから帰国した晩年の青山義雄が残した代表作のひとつ。横須賀は青山が生誕したゆかりの地でもある。幼いころから終生、母なる海を身近に感じながら生き抜いた画家が最後の画題に選んだのがこの場所だった。三浦半島にある某ホテルのテラスから眺めた、どこまでも広がる相模湾。この絵を制作している時には、高齢のためすでに視力は随分と衰えていた。戦前から「青山ブルー」と評判になった美しい青色がキャンバスにあふれている。同じシリーズの「浦賀水道・春」は、横須賀美術館に収蔵されている。
作品名「バラのアーチ」
(1992年、20号)
作品名
「バラのアーチ」
(1992年、20号)
青山義雄の代表作のひとつ。この絵に描かれている場所は、南仏ニースのフランシスコ会修道院の庭と言われている。近くには恩師マティスが永遠の眠りにつく墓苑がある。青山がカーニュからニースへ転居したのは、1967年7月。それ以降、何枚ものバラのアーチを手がけているが、ピンクのバラを描いたものは恐らくこの一枚だけだろう。幾度となく題材にした修道院の庭のバラには、生涯忘れることが出来ない恩師へ思いと感謝の念が込められているという。この絵は、晩年一度、帰国した青山がもう一回、バラのアーチを描きたいと再び渡仏し、現地で絵筆をとった渾身の一作である。